2026年4月1日水曜日
『型』に挑んだ、その先で・・・
4月です。先月行われた日本アカデミー賞の授賞式で「国宝」の吉沢亮さんが最優秀主演男優賞を受賞しました。
その吉沢さんが、昨年末、あるテレビ番組で歌舞伎の女形の『型』の習得に苦労したことを話していたのを思い出します。
▼曰く「役者はその人なりの正解みたいなものがあるので正直な話、下手でも味になる。
でも歌舞伎に関しては『型』があって、特有というか、唯一無二なんでしょうね。基礎がバッチリ固まっていないとダメ。下手じゃダメなんですよね」
▼映画で演じた女形について、最初のすり足ができるまでに3か月かかったことを明かしたうえで
「やればやるほど本物の歌舞伎役者さんたちの凄さというか、これはもう1年半じゃ絶対に間に合わないなと思いながらやってました。
ある意味、意地になりながら、どうにかやったという感じ」と、苦労の日々を吐露していました。
▼歌舞伎や能などの伝統芸能には長い歴史の中で継承されてきた『型』があります。
『型』は、身体と意識を通して原理を身につけるための、言わば高度な学習装置なのかもしれません。
しかし、単なる形の暗記だけでは極めたことにはならない難しさと奥深さが歌舞伎にはあるのでしょう。
▼日本アカデミー賞の授賞式での吉沢さんのスピーチが意味深長でした。
「今回、この”国宝”という作品を通して、表現の道、お芝居の道を生きる人間の業(ごう)というか、その道の険しさみたいなものを改めて痛感しました。
そして、その先にある本当の喜びのようなものに少し触れられた気がして、改めてこの道に生きる自分を見つめ直す機会になりました」と、俳優人生の転機になった実感を話していました。
▼何事にも習得すべき『型』というものがあるように思います。安定した成果を出すためには同じ動きを何度も再現できることが不可欠です。
『型』は、言わば基礎のことです。しかし、何事も『型』の習得だけでは簡単に到達できない奥義があるのも事実です。
話し方においても、『型』に挑んだ、その先で・・・確かな手応えに触れるほどの努力をしてみたいものです。
2026年3月1日日曜日
「楽しむ」を信条に
3月です。先月行われた冬季五輪の日本勢の大活躍に感じたことがあります。
緊張感を余儀なくされる選手たちの逞しいメンタルに時代の変化を垣間見たように思いました。頼もしい限りです。
▼日本のスポーツ界にも、旧来の根性論から「楽しむ」意識へのシフトが確実に進んでいるのかもしれません。
「楽しむ」と意気込みを語り試合に臨んだ選手が何人もいました。
昔の「国を背負って失敗できない」悲壮感から、「五輪を楽しむ」というポジティブな目標が常となりつつあるのでしょう。
▼今年の冬季五輪では、多くの選手が「自分らしく楽しむ」姿勢で大活躍し私たちを魅了しました。
特にスノーボードやフィギュアスケート勢がその精神の象徴でした。
失敗を恐れず難度の高い技に果敢に挑戦する姿に感動しました。高難度に挑むこと自体が「楽しむ」を追求する原動力になっているのかもしれません。
▼そもそもスポーツの語源は、「運び去る」「運搬する」を意味するラテン語だそうです。仕事から離れて気分を転換する「気晴らし・遊び」が本来の意味です。
五輪の重圧下でも「楽しむ」と語る選手が増えているのは、自然な時代の流れなのかもしれません。スポーツの本質を「楽しさ」と見なす空気が広く一般化しているようです。
▼思うに、「楽しむ」という信条は、厳しい練習で確かな自信を掴んだ選手のみが辿り着く境地なのでしょう。
蛇足ながら、人前でのスピーチにも「楽しむ」という信条が必要です。聴衆の頷きや笑顔を味方につけ「伝える楽しさ」をめざすべきです。
そのためには、しっかり事前の準備をし、深呼吸で心を落ち着かせ、背筋を伸ばして笑顔で話しましょう。「楽しむ」が見えてくるはずです。
2026年2月1日日曜日
謝意は謝意ながら
2月です。”月日に関守なし”と言います。あっという間に今年も1か月が過ぎました。
ところで、かねがね気になっていることがあります。
時折、ニュースの最後に「今夜もご覧いただきありがとうございました」とコメントするアナウンサーがいます。
謝意は謝意ながら、いささか違和感を覚えます。
▼ニュースには、人の幸せを伝えるものばかりではありません。事件、事故、災害など、人の不幸を伝えるものが多々あります。
むしろ日常的にはそちらの方がある意味ニュースなのかもしれません。
そんな人々の不幸を幾つか伝えた番組の最後に「ご覧いただきありごうとうございました」と丁重に言われると、なんとも割り切れない思いになります。
▼きっと、視聴者への素直な感謝の気持なのでしょう。たぶん、仕事に対し誠実で謙虚な方(方々?)なのでしょう。
しかし、例えば、火事で人が亡くなったとか、災害で大勢の人が死傷したとか、気の毒なニュースを聞いた後で
「ご覧いただきありがとう」という謝意のコメントを聞く度に”果たして適切なコメントなのだろうか”と、かねがね疑問を抱いていました。
▼折しも、先日、県内の親しいフリーアナウンサーと話す機会があり、件のコメントについて意見を求めたところ、
何度か聞いたことがあり”視聴者に媚びているように思った”という感想でした。
視点は少し違うものの違和感を覚えるという点では通底するところがあるように感じました。
▼友の反応に共感者を得て、ますます違和感を強くしているところです。
事件や事故、災害のニュースには、当事者がいます。当事者の関係者が数多います。
そんな人達が「今夜もご覧いただきありがとうございました」というコメントをどんな思いで聞いているでしょうか。
謝意は謝意ながら、ニュース番組には馴染まないコメントに思えてならないのですが・・・
2026年1月1日木曜日
「幕開け」と「幕開き」、そして「開幕」
新しい年が幕を開けました。幕を開けると言えば、昨年末に「まくあき」という愛称の投資信託を勧められました。
目論見書の「まくあき」という毛筆の標題に、アナウンサーとして駆け出しの頃に先輩から教わった「幕開け」と「幕開き」という言葉のことを思い出しました。
▼物事の始まりという意味で一般的に使われる「幕開け」は、実は「幕開き」が正しいのだというのが先輩の教示でした。
目から鱗のひと言でした。確かに、「幕が開く」の名詞形は「幕開き」が正しい語です。「幕開け」は「幕開き」から派生した語です。
それが、今では、派生形の「幕開け」の方が広く定着しているというわけです。
▼そもそも「幕開き」は、芝居や演劇で「幕が開いて芝居が始まること」を指す言葉です。そこから転じて一般に物事の始まりも言うようになりました。
本来、演劇や歌舞伎などの始まりを指すときは「幕開き」とするのが原則でした。
しかし、近年、押し並べて「幕開け」が一般化し、芸能のみならず「新時代の幕開け」など比喩的な始まりも「幕開け」が主流です。
▼「幕開け」と「幕開き」は、意味はほぼ同じで「物事の始まり」を表しましが、成り立ちや使い方にちょっと差があります。
ですから、私がアナウンサーだった頃は、芸能関係では「幕開き」を、芸能以外、一般の「開始」の意味で使う場合は「幕開け」と、意識して使い分けていたものです。
▼ところで、「開幕」という言葉があります。舞台の幕が開くことです。
そこから、観客が居るものが始まる場合、例えばスポーツの試合などについても「開幕」が使われるようになりました。
逆に言うと、観客が存在しない始まりには「開幕」という言葉は馴染まないのです。
▼件の「まくあき」という投資信託の目論見書には”新たな日本の資産運用業の「まくあき」を目指します”と謳っています。
多くの投資家が関心を寄せる舞台にしたいという思いを言葉に託したのかもしれません。
▼令和8年、今年予定されるあらゆる「幕開け」や「幕開き」、そして「開幕」に、明るい展望があり盛況を呈することを願うばかりです。
2025年12月1日月曜日
挫折を糧に!
12月です。新年まで1か月、いよいよ我らが朝乃山が来年の大相撲の幕内の土俵に帰ってきます。
先月の九州場所を12勝3敗の好成績で終え、来月の初場所での幕内復帰が確実視されています。再入幕となれば、およそ1年半ぶりのことです。
大関経験者が2度の三段目転落を経て幕内に返り咲くのは初めてのことだそうです。挫折を糧に!史上初の復活劇です。
▼「挫折というチカラ」という本があります。
青山学院大学陸上部を駅伝強豪校へと育て上げた原晋監督が、その勝負強さや成長の源は「挫折体験」にあると説く本です。
挫折を体験することで、折れない心、諦めない姿勢、チャレンジ精神が育まれる。挫折こそが成功のもとになると論じています。
▼件の書では、原監督自身の人生も挫折の連続だったことを吐露し、その経験が「諦めない青学」を作り上げることになった実感を披瀝しています。
また、挫折からどのように再起し、さらに高みへどうステップアップするかの思考法や心構えを示しながら、選手たちのインタビューを通して「折れない心」の作り方を探求しています。
▼原監督によれば、挫折とは、自分で目標を立て、そこに向けて必死に努力したけれども、「外的要因」に打ちのめされて、それを達成できなかった経験だということです。
よって、「挫折こそが成功のもとである!人は折れたら折れただけ強くなる!心のかさぶたをどんどん厚くせよ!世の中の人よ、もっと挫折せよ!」と、持論を列挙しています。
さながら、逆説の真理ともいうべき原監督らしい持論です。
▼「勝って奢らず、負けて腐らず」。先場所の朝乃山が何度も口にした言葉です。
「幕内に戻って、どこまで通用するか。来年は三役に戻りたい」。九州場所後に朝乃山が語った言葉です。
幕内復帰を目指した今年、三役返り咲きを目指す来年。
原監督の言う「挫折というチカラ」を信じて、2度の挫折を糧に、新しい朝乃山の諦めない相撲人生に期待したいものです。
2025年11月1日土曜日
締め切り効果
11月です。今年もあと2か月です。”今年中にやらなければ”ということがある人にとっては、そろそろプレッシャーを感じる時期かもしれません。
ところが、このプレッシャーが集中力を高め思わぬ作業効率や生産性を高めることがあると言います。これを”締め切り効果”と言うのだそうです。
▼そんな”締め切り効果”を彷彿とさせるような一篇のエッセイに出会いました。ダウン症の書家・金澤翔子さんと母・金澤泰子さんの作品集「翔子の百物語」の中の一篇です。
翔子さんの書いた力強い書作品と、それにまつわる泰子さんの愛情あふれる解説エピソードが見開きで収録されているうちの「百回」と題する以下の一篇です。
▼「連載が百回を迎えた。百回も続いたのは〆切があったから。もし〆切がなかったら一篇も書けなかったでしょう。
毎月〆切に追い詰められて目を瞑り想うと、翔子のエピソードが降りてきて、それを書き留めた。百篇のどのエピソードもこの連載がなければその場で消え去ったろう。
皆さまも深い想いに出会ったら小さなノートを作り〆切を決めて毎月一篇書いてみて下さい。私もこうして娘の百物語ができました。」
▼この「翔子の百物語」は、ダウン症の娘と命の尊さを感じながら共に生きてきた金澤泰子さんが10年間続けてきた雑誌の連載をもとに厳選しまとめて今年2月に上梓されたものです。
いずれの物語も、〆切に追われる心理的なプレッシャーの中でそれを不思議な力に変え瞑目して紡いだと思える至高のエピソードです。
▼教訓とすべきは、件の一篇「百回」の後段にある「皆さまも・・・書いてみて下さい。」という一文です。『”締め切り効果”追求のススメ』とでも言える一文です。
練習スピーチの話材選びなどで腐心する「話し方教室」の受講生にとっても、会心の”締め切り効果”を引き出す一法として倣うべき有用な教示のような一文に思います。
2025年10月1日水曜日
「ばけばけ」と「ヘルン文庫」
10月1日です。一昨日からNHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「ばけばけ」が始まりました。
舞台は明治時代の島根県松江市です。主人公の没落士族の娘・松野トキ(モデルは小泉セツ)が、外国人の夫(モデルは小泉八雲=ラフカディオ・ハーン)とともに
急速な西洋化の中で健気に暮らす姿を描く物語です。
▼「ばけばけ」は「化ける」の意味で、変わりゆく時代に取り残された人々の思いが素晴らしいものへと化けて行くというのがテーマだそうです。
没落した士族の苦労や互いに支え合う家族の姿を通して「この世はうらめしい。けど、素晴らしい。」が作品のキーワードだといいます。
▼ところで、小泉八雲が生前収集した蔵書群コレクションが富山大学附属図書館に所蔵・管理されています。「ヘルン文庫」です。
2435冊の図書のほか、八雲の手書きの原稿や関連文献などが含まれているということです。
「ヘルン文庫」の膨大な蔵書群は、八雲が日本に来てから集めたもので文学的創作の資料として重要なものとされています。
▼そもそも、小泉八雲の蔵書コレクションがなぜ富山大学にあるのか?
いきさつはこうです。大正12年の関東大震災で多くの資料を焼失した八雲の遺族が難を逃れた蔵書の安全な保管先を探していました。
折しも旧制富山高等学校(現・富山大学の前身)の設立準備を進めていた関係者が富山を文化の拠点にしたいと考えて譲渡を申し入れます。
その趣旨に賛同し寄付依頼に応じた資産家の馬場はる氏が私財を投じ購入して学校に寄贈。富山大学に現在引き継がれているという訳です。
▼「ヘルン文庫」は、定期的に公開されています。毎月第3水曜日の13時から16時に自由に見学可能です。10月の公開日は15日水曜日です。
朝ドラ「ばけばけ」の放送を機に、日本の文化や伝説を欧米に紹介した小泉八雲の著作(怪談など)に影響を与えた「ヘルン文庫」の蔵書や資料に触れ、
八雲の文筆活動の背景を弄ってみるのも一興かもしれません。
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