2025年9月1日月曜日
「茶道」は「さどう」?「ちゃどう」?
9月です。先月14日、茶道裏千家前家元の千玄室さんが亡くなりました。
千利休の流れを汲み、茶の湯の文化を世界に広めた大宗匠の逝去でした。
この訃報を伝えた各局のニュースで、アナウンサーの「茶道」を「ちゃどう」という読み方が物議を醸したようです。
▼とりわけ、NHKには「アナウンサーなのに、茶道も読めないのか」など、非難と抗議の声が多数あったと言います。
しかし、NHKでは「さどう」「ちゃどう」両方とも認めており、放送では流派や文脈に応じて使い分けているそうです。
一般的な情報では「さどう」を、流派の話題ではその流派の読み方に合わせているということです。
▼確かに、「茶道」の読み方は流派によって違いがあります。
表千家では、特に決まりはないが、「さどう」と読むことが多い。裏千家では、伝統的に「ちゃどう」と読むのが正式。
武者小路千家では、どちらも使うが、原則「茶の湯」と呼ぶことが多い。ということのようです。
従って、件のニュースでは「ちゃどう」と読むのが正解だったということになります。
▼今では「茶道」は「さどう」が一般的ですが、歴史的には「ちゃどう」が本来で、江戸時代までは「さどう」は稀だったようです。
そもそも、茶道関係の言葉、茶釜、茶器、茶道具、茶の湯、茶会などは、すべて「ちゃ」です。
してみると、「茶道」を「さどう」と読むのは異例なことなのかもしれません。
▼ところで、漢字には一般的に知られている読み方と異なり、本来の正しい読み方がある例がいくつかあります。
「一入」は「いちにゅう」や「いちいり」と間違って読まれることがありますが、本来の読み方は「ひとしお」です。
「幕間」は、現代では慣用的に「まくま」という読み方が広まっていますが、正しくは「まくあい」。
代替は、「だいたい」と読みますが、「だいがえ」は間違い。他人事は、本来「ひとごと」で「たにんごと」は間違い。などなどです。
▼「日本語は難しい」とよく言われます。とりわけ、漢字は厄介です。
最初から読めない難しい漢字は辞書で調べますが、知っている漢字の熟語は要注意です。
「思いこみで読む前に、念のため調べてみるべし」を心掛けたいものです。
2025年8月1日金曜日
夏日、真夏日、猛暑日、酷暑日、そして、・・・。
8月です。暑い日々が続いています。毎朝の天気予報は、炎天下での外出を控えるよう呼びかけています。
夕方のテレビニュースは、全国の暑さランキングを連日のように報じています。
折しも、一昨日(7月30日)、兵庫県丹波市で最高気温41.2度を観測し、5年ぶりに国内最高を更新しました。
昔はこんなに暑くなかったよなぁ、と感慨一入です。
▼ところで、いつ頃から夏の暑さを固有の気象用語で表わすようになったのでしょうか。
因みに、最高気温が25度以上になった時の「夏日」は、1897年(明治30年)頃から使われ始めたようです。
当時の観測指標として「夏日(25℃以上)」が気象資料に登場すると言います。夏の実感は気温25度からだったのでしょう。
▼一方、今では毎日のように耳にする「真夏日(最高気温30度以上)」は、1962年(昭和37年)の日本気候表に正式に登場するそうです。
中高生の頃、気温が30度を超えると大騒ぎだったのを思い出します。1967年(昭和42年)頃から「真夏日」が広く使われたという記述もあり、
1960年代(昭和35年代)から1970年代(昭和45年代)にかけて定着したようです。
▼また、言い得て妙な猛烈に暑い日「猛暑日(最高気温35度以上)」は、2007年(平成19年)に気象庁の予報用語に正式に追加されました。
18年前のことです。以来、天気予報や気象情報で使われるようになったと言います。
▼そして、最近の新しい用語「酷暑日(最高気温40度以上)」は、2022年(令和4年)の8月に日本気象協会が独自に命名し発表したということです。
まだ、気象庁の公式用語にはなっていないようです。やがて、「真夏日」や「猛暑日」のように日常語になるのでしょうか。
▼言葉は生き物です。時代や文化、社会の変化とともにつねに生まれ変わり続けています。
夏日、真夏日、猛暑日、そして、酷暑日、そして、・・・。
奇しくも、地球温暖化の進行とその速さを証左するように、暑い夏の呼称が新用語として次々に変遷し定着してきているのです。
さて、酷暑日の次は??? 外に出た途端に思わず「暑ッ、凄ッ、辛ッ」と大声を出していそうです。
2025年7月1日火曜日
「・・・と思っていて」という言い方
7月です。西日本の各地では先月27日に早くも梅雨明けが宣言されました。異例な早さの梅雨明けだそうです。
わが北陸地方の梅雨明けはどうなるのか、そして、梅雨明け後の暑さがどうなのか、大いに気になるところです。
▼気になると言えば、最近テレビのコメンテーターなどがよく使う「・・・と思っていて」という言い方がとても気になっています。
話し方教室で「短いセンテンスで、話はそのつど言い切りましょう!」と指導している手前、
「・・・と思っていて」という連用形の言い方を終止形の文意として使う人が最近富に増えているようで気になっていました。
そしたら、歌人の俵万智さんも、近著の「生きる言葉」の中で同様の感慨を書いていました。
▼曰く「最近、私が気になる不思議な言い回しは、話の途中で「・・・と思っていて」というもの。
どうなるのかと聞いていると、特にどうというわけでもなく、ただ思っているということのようだ。
それを「・・・と思っています」と言い切らずに、言いさしの表現のまま、次の話に進んでいく。
おばさんとしては、とても気持が悪いのだが・・・」と。
▼本来「・・・と思っていて」には、その状態が今も続いている、あるいはその考えを持ちながら何かをしている、というニュアンスがあります。
例えば、「私はこの案がいいと思っていて、みんなにも提案したいです」のように、
単なる意見表明にとどまらず、その考えをもとに行動しようという場合に使う言い方なのです。
▼そもそも「・・・と思っています」は、自分の考えや意見をやや控えめに伝える表現です。
近年は、断定を避けて柔らかく伝える表現が好まれる傾向がとりわけ強まっているように思います。
その典型として「・・・と思っていて」が、相手に押しつけず自分の考えを控えめに共有する言い方として重宝に使われているのかもしれません。
▼とは言え、「・・・と思っていて」があまりに多用されると、話が冗長になったり、曖昧な印象を与える話し方になったりしかねません。
意見をしっかり伝えたい場合は、時に意識して「・・・と思っています」と話したいものと考えるのですが・・・。
2025年6月1日日曜日
四字熟語を使う
6月です。大相撲の大の里が横綱に昇進しました。昇進伝達式の口上でどんな四字熟語を使うのか関心の的でした。
口上は「横綱の地位を汚さぬよう稽古に精進し、”唯一無二”の横綱を目指します」というものでした。
注目の四字熟語は”唯一無二”でした。他に比べようがない孤高の横綱を目指すという強い決意と覚悟が込められた言葉だと思います。
▼この”唯一無二”という言葉は、大の里が大関昇進時にも使ったものです。
当初は違う言葉を考えていたものの”唯一無二”以上の言葉が見つからず、最終的に前日になってこの言葉を選んだと明かしています。
この”唯一無二”は父親が好きな言葉だそうですから、家族への感謝と誓いの思いも込められているのでしょう。
▼大相撲の昇進伝達式で四字熟語を使った口上が注目されるようになったのは貴乃花がきっかけだと思われます。
平成5年(1993年)初場所後に貴ノ花(のちの貴乃花)が史上最年少で大関昇進を果たした際に
「今後も”不撓不屈”の精神で相撲道に精進いたします」と口上を述べて世間の耳目を集めました。
▼それ以前にも力士によっては”一生懸命”など四字熟語的な言葉を使う例はあったようですが、
明確に「四字熟語を選んで意識的使う」という口上が定着したのは、貴乃花やその兄である若乃花が昇進伝達式で
"不惜身命””一意専心”堅忍不抜”という四字熟語を使って話題となり、次第に他の力士にも広まり一般化したと言えます。
▼ところで、スピーチにも時に四字熟語を使うと効果的です。
内容にふさわしい四字熟語を使って話すことで話の主題が明確になり、聞き手に強く印象づけることができます。
また、四字熟語をきっかけにエピソードや具体例を話すと、スピーチに深みや説得力を増すことができます。
とりわけ、スピーチの冒頭や結びに使うと、話全体が引き締まりより印象的になると思います。
▼蛇足ながら、私は、人前での挨拶や講演などの結びに”人生邂逅”という言葉をたびたび使ってきました。
”人生邂逅”は、辞書にはない私の造語です。邂逅とは?人生とは?と、言葉の意味や私なりの人生観を話しながら、
その場の人達との出逢いに感謝し末長い親交を願いつつ”人生邂逅””邂逅感謝”で〆るのが常でした。
2025年5月1日木曜日
方言の周圏論
5月です。先月から始まったNHKの朝ドラ「あんぱん」を見ていて思うことがあります。
登場する人たちの土佐弁が私たちの富山弁によく似ているということです。
語尾の響きや使い方にそっくりな表現がたくさんあります。
▼朝ドラ「あんぱん」は、”アンパンマン”を生み出した漫画家やなせたかしと妻の暢をモデルにした物語です。
ドラマ中、助詞の「が」がつく会話が頻繁に出てきます。昨日の放送でも「うちはいいがですけど」「それが解けんがか」「丸暗記してしまうがよ」
「どんな味がするがやろ」「この家と結婚したがか」「そうなが?」「もう決めたがよ」「大切な人がおるがやない?」という具合でした。
確かに、土佐弁と富山弁には類似性がありそうです。
▼一昨年放送された朝ドラ「らんまん」を見ていた時にも同じことを思いました。
「らんまん」は、高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにした感動の物語でした。
この時も劇中に交わされた会話は、「が」の使い方が富山弁とよく似た土佐弁でした。
土佐弁と富山弁がどうして似ているのか?かねがね疑問でした。
▼腑に落ちる考え方に行きあたりました。方言の周圏論です。民俗学者・柳田国男が提唱した言語学の理論です。
言葉の変化は、文化の中心地(京都)から同心円状に広まって行くという考え方です。
東北弁と出雲弁の類似性も方言の周圏論の典型だと言います。確かに、どちらも「ズーズー弁」と呼ばれることがあり、とても似ています。
そう言えば、島根県出身の竹下元総理の話し方に東北訛りを感じたものでした。納得です。
▼ところで、松本清張の小説「砂の器」では、東北弁と出雲弁の類似性が重要なトリックに使われています。
物語の冒頭、東京で起きた殺人事件の被害者と犯人が「ズーズー弁」で話していたという証言から、警察は東北地方に捜査を広げます。
しかし、東北では手掛かりが得られず、やがてその方言が出雲地方のものであると判明するというストーリーです。
▼方言の周圏論は面白い考え方だと思います。納得の理論です。
富山弁と土佐弁は、ともに西日本方言の系統に属し、都(京都)から似たような距離に位置します。
遠く離れた富山と高知の方言の類似性は単なる偶然なのか?歴史的、言語的必然性が何かあるのか?
方言の謎が想像を駆り立てます。そして、朝ドラ「あんぱん」に特別な親近感を抱きつつ今朝も見るのです。
2025年4月1日火曜日
再起の春
4月です。春本番です。春は、希望に燃えて新生活を始める人の多い季節です。
一方で、春は、人によっては再起の機会として特別な意味を持つ重要な季節です。
そんな人にとって、春は、草木の芽吹きに深遠な生命力を感じつつ自らの再起に心機一転する絶好の節目なのかもしれません。
▼わが故郷の朝乃山にも、先月の春場所での三段目優勝を重要な再起の一歩にしてもらいたいものです。
朝乃山は、去年7月の名古屋場所で大怪我をしてから約半年ぶりに土俵に戻り7戦全勝で三段目優勝を果しました。
過去にも不祥事で出場停止処分を受け三段目から復帰して全勝優勝したことがあり、今回も盤石な相撲内容で復活への道を歩み始めました。
▼朝乃山には、ぜひ、玉鷲の継続力と不屈の精神に学んでもらいたいと思います。
玉鷲は、40歳にしてなお現役で活躍を続けています。怪我や困難を乗り越えながら通算出場記録を更新し土俵に立ち続けています。
朝乃山も、玉鷲に倣い40歳まで相撲を取るほどの気概で土俵に臨んでもらいたいものです。
▼朝乃山には、また、35歳にして相撲を楽しむ境地に至った高安に学んでもらいたいと思います。
先場所の高安は、千秋楽の優勝決定戦で大関の大の里に敗れ悲願の初優勝を逃したものの、大関時代を彷彿とさせる連日の大活躍でした。
場所中の勝利インタビューで答えた心境が至言でした。曰く「今が一番楽しいですね!やりがいがあります!」
勝負の世界で幾多の悔しさを積み重ねた末にようやく達した境地なのでしょう。
▼40歳にしてなお土俵で挑み続ける玉鷲。35歳にして相撲の本当の醍醐味に浸る高安。
31歳の朝乃山には、両力士の気骨溢れる姿がこの先の貴重な道導となることでしょう。
来場所は幕下上位に昇進することが予想されています。折しも、今月6日には富山場所が開催されます。地元の声援を力に復活の道を不屈邁進することを期待します。
▼蛇足ながら、新しい始まりの季節だから、このタイミングで自分の話し方やコミュニケーションスタイルを振り返り、
改善点を見つけて再起の春にしたいものです。
2025年3月1日土曜日
球春に鍛える
3月です。先月キャンプインした日米のプロ野球は、選手やチームの練習が最終盤を迎えています。
これから各球団は、実戦さながらにオープン戦を重ねペナントレースに向けて新しいチーム作りの仕上げに入って行きます。
▼キャンプとは、本来、軍隊などの集団が訓練のために一か所に集まることを言います。
プロ野球のキャンプはそれに倣ったもので、春季キャンプはシーズン本番に向けた準備期間として重要な意味を持っています。
また、若い選手にとってもその後の自らの野球人生を左右する大切な登竜門です。
▼先日、元千葉ロッテマリーンズの捕手で野球解説者の里崎智也さんが、出演したNHKの「ラジオ深夜便」で若い選手に贈るエールとして
「死ぬほど練習しろ!”量より質”はないぞ!」と、檄にも似た含蓄に富んだ発言をしていました。
▼曰く「自分の目標に到達するためには練習するしかない。トップアスリートやオリンピック選手で”量より質”と言っている人に会ったことがない。
トップの人は、10のことを1する。効率的に。そして、1を10個する。だから成し遂げられる。
”量より質”と言っている人は、10のことを1しかしない。ただ楽をしたいだけだ。そんなんじゃ上手くなりませんよ!」と。
▼里崎さんの発言は、練習量の重要性と練習の質と量の両立についての実感を伴った持論なのでしょう。
上達のためには大量の練習が不可欠であり、一流選手は質の練習を量をこなしてやっている。
真の上達には質の高い練習を大量に行なうことが必要だということを示唆しています。
▼この発言は、スポーツに限らず、あらゆる分野での成功に通じる普遍的な真理だと思います。
蛇足ながら、野球の実況アナウンサーにとっても、春季キャンプの取材は様々な能力を鍛える絶好の機会です。
繰り返される選手の動きから的確に描写する技術を試し、選手やコーチへのインタビューを通じて情報を引き出す力を養う貴重な機会になっているのです。
▼球春到来です。新しい春に目標に向かって質量充分に鍛えし選手たちに栄光あれ!!
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