2018年5月1日火曜日

「遺憾」と「謝罪」

先日、ラジオの情報番組で、ゲストのフリーライターが「ここ数カ月間、
政治家や官僚の言い訳ばかり聞いている気がする。絶対に謝っては
いけない人種なのか!? とにかく、はぐらかそうとする言葉ばかり
使っている」と、政治家や官僚の曖昧な言葉に苦言を呈していました。
不徳の致すところ、職責を果たすのが困難、記憶のかぎり、誤解を
招きかねない、等々、いずれの表現も、問題の核心をはぐらかそうと
する底意が見え隠れする典型だと指摘した上で、「遺憾」という言葉も
政治家や官僚が常套句として多用しており、このような曖昧な言葉に
馴れてはいけないのではないかと持論を展開していました。
「遺憾」とは、憾みを遺すという意味です。辞書には、思っているように
ならなくて心残りであること。残念なこと。または、そのさま。と、語釈
されています。また、用例の「遺憾の意を表する」には、自分の行動を
釈明し詫びる場合にも、相手の行動に対して非難の気持を表す場合
にも用いる。と注釈されています。
つまり、「遺憾」という言葉は、他人の行動に使うと非難になり、自分の
行動に使うと謝罪の意味になるのです。しかし、元々の字には「謝罪」
の意味が含まれていません。そこで実際には、「不本意」に近い意味で
使われることが多く、謝っているように見えて、実は謝っていない、言葉
なのです。謝罪したくない政治家や官僚にとっては、実に便利?な言葉
なのかもしれません。
テレビである元プロ野球選手が言っていました。「日本には、『謝れば
赦す』という文化があるのだから、森友問題も加計問題も、安倍さんが
早くにちゃんと謝っていれば、こんなにゴタゴタしなかったのに・・・」、と。
共感できる発言でした。確かに、いま国民の間に漂う「もやもや感」は、
きちんと謝罪すべき政治家や官僚が、適宜、適切な言葉で、ちゃんと
謝っていないせいなのだろうという気がします。
さて、5月の鞍田朝夫「話し方教室」は、6日と20日の日曜日に開講
します。いずれも、午前10時から富山県民会館608号室で開きます。
6日が「ひとつだけを話す」、20日が「3分間で話す」が学習テーマです。
関心のある方の見学を受付けます。☎076-431-3248にご連絡
いただければ幸いです。